Category / 国内メディア
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西サハラのタブー化に加担する日本外交の異様(4) 中立からかけ離れた外交姿勢と“欧州の工場”への忖度(アジアプレスネットワーク)
6年前の第7回アフリカ開発会議(TICAD7)でサハラ・アラブ民主共和国(SADR)の代表団(以下、西サハラ代表団)が初来日したが、会議場で発言の機会は与えられなかった。今年開催のTICAD9では、日本の圧力によって会議場以外での発言機会も許されない格好となった。西サハラ代表団の声と、日本の対西サハラ外交の姿勢、忖度の背景をまとめた。
2025年9月12日 -
西サハラのタブー化に加担する日本外交の異様(3) ビザ発給拒否、施設利用申請不承認、“心配”の声……圧力は存在する(アジアプレスネットワーク)
2023年冬、ある懇談会の場で、私は初対面の参加者たちとの会話を楽しんでいた。近年は西サハラ関連の取材を続けてきたと話すと、「そういえば、西サハラの人が来日できなくなったと聞きましたよ。ビザが出なかったって」と言われた。単なる噂話ではない。事実だ。
2025年9月11日 -
西サハラのタブー化に加担する日本外交の異様(2) 流布されるモロッコの見解 JICAや元大使らのウソの数々(アジアプレスネットワーク)
日本での西サハラに関する発言や記述には間違いが多い。政府機関や関係者が率先して誤った情報を発信し続けているケースもある。西サハラの実情を知らなければ、意図的に流される誤情報に気付きようがない状況が生じている。
2025年9月10日 -
西サハラ代表団が離日 日本政府が活動を制約 横浜開催のアフリカ開発会議
横浜で開催された第9回アフリカ開発会議(TICAD9)に参加したサハラ・アラブ民主共和国(SADR)の代表団(以下、西サハラ代表団)は、8月23日、急遽日程を早めて離日することとなった。日本政府からTICAD以外の場で活動を行わないよう要請があった
2025年8月24日 -
西サハラ友の会発行『西サハラの奪われたタコ:モロッコ占領下の水産業と日本の食卓』2025年1月刊
ほぼ1年かけて制作したブックレット『西サハラの奪われたタコ:モロッコ占領下の水産業と日本の食卓』(西サハラ友の会発行・2025年1月、本文60ページ)が完成しました!当会事務局までお申し込み下さい。
2025年2月3日 -
<西サハラ>8月23日東京開催のTICAD9閣僚会合でモロッコ代表団の1人が暴力
8月23日に東京で開催されたTICAD閣僚会合の会場で、モロッコ代表団の1人が西サハラ代表団のプレートを奪おうと掴みかかりました。会場で起こったことと、その背景を整理した記事です。
2024年8月29日 -
西サハラ問題とはなにか(5) 占領政策によって上書き消去されるサハラーウィの記憶
モロッコは西サハラを占領後、歪めた歴史を唱え、地名を書き換えた。占領の手段は、武力だけではない。西サハラのモロッコ化は、サハラーウィの足跡を消しながら進められてきた。
2023年12月29日 -
祖国は「恥の壁」の向こうに…日本中を巡ってファトマさんが訴えた「サハラウィ」の窮状(東京新聞)
アフリカ北西部の紛争地域「西サハラ」の現状を伝えるため、難民キャンプで生まれ育ったファトマ・ブラーヒームさん(24)が来日し、10月下旬~11月中旬に全国各地で講演活動を行った。「アフリカ最後の植民地」と呼ばれ、領有を主張するモロッコと独立を目指す組織の対立が続く。難民キャンプでの生活の様子や「砂の壁」で分断された祖国への思いを聞いた。
2023年11月24日 -
西サハラ問題とはなにか(4) “南部モロッコ”とされる占領地
モロッコによる占領地の扱いは、「当地はモロッコ領である」との建前のもとに立つ。西サハラと呼ばれることはなく、単に“南部モロッコ”または“サハラ”と呼ばれていた。
2023年10月26日 -
西サハラ問題とはなにか(3) モロッコの侵攻は緑の行進に隠れてはじまった
国連は、西サハラはモロッコ領ではなく、西サハラ住民の代表はポリサリオ戦線であると結論づけていた。それでも、モロッコは緑の行進で“失地回復”を唱え、スペイン領サハラへの侵略を開始した。
2023年10月12日