西サハラ略史

1884年

ベルリン会議でスペイン領サハラの領域が決定される。当初の実効支配は首都エル=アイウンと南部の港町ダフラ。住民の抵抗はあるが、スペインは次第に支配地域を拡大。

1934年

北西部の町スマラを掌握して、植民地支配体制が完了。

1960年

国連総会で植民地独立付与宣言採択。

1962年

北西部のブ・クラアでリン鉱石開発が本格化。

1962年

北西部のブ・クラアでリン鉱石開発が本格化。

1963年

国連は、スペインを西サハラの施政国と認定。

1966年

国連総会決議で、イフニと西サハラ住民の自決権を確認。西サハラで「先住の住民のみ」による住民投票を要請

1969年

スペインがイフニをモロッコに返還。

1970年

エルアイウンのゼムラ地区で民衆蜂起。スペインは弾圧。

1973年

ポリサリオ(Frente PoLiSaRio=サギア・エル=ハムラおよびリオ・デ=オロ人民解放)戦線が結成され、武装闘争を開始。

1974年

スペインが住民投票の有権者名簿作成を目的に人口調査。
モロッコとモーリタニアが国際司法裁判所(ICJ)にスペイン領サハラの領有権を主張。

1975年

5月 国連が現地調査団を派遣。住民を代表する組織としてポリサリオ戦線を認める報告書を提出。10月に、住民の大半が独立を希望と発表。
10月 国際司法裁判所がモロッコ、モーリタニアの領有権を退ける諮問意見を発表し、民族自決権の行使を勧告。
11月 モロッコは国民を動員し、スペイン領サハラの「返還」を求める「緑の行進」を実施。
フランコ将軍の死期が近づいていたスペインは、西サハラをモロッコとモーリタニアに分割譲与するマドリッド協定を結ぶ。2国の軍が侵攻し、住民はアルジェリアに避難。

1976年

 2月 スペインは西サハラから撤退。ポリサリオ戦線はアルジェリア西部のティンドフ難民キャンプでサハラ・アラブ民主共和国(SADR/RASD)の樹立を宣言。

1978年

モーリタニアでクーデタ発生、新政権はポリサリオ戦線と停戦。

1979年

7月 アフリカ統一機構(OAU)が、西サハラでの住民投票を提案。

8月 モーリタニアは和平協定を結び、4年後にRASDを国家承認。モーリタニア撤退後の領土をモロッコが占領。

1981年(-87年)

モロッコが「砂の壁」の建設を開始し、地雷を敷設(現在、壁の西、大西洋岸側の約3分の2がモロッコ支配地域。東の内陸部、約3分の1はサハラ・アラブ民主共和国の解放区)。

1984年

アフリカ統一機構(OAU)がサハラ・アラブ民主共和国の加盟を承認。モロッコはこれを不服としてOAUを脱退(2017年、アフリカ連合に加盟)。

1988年

 デ・クエヤル国連事務総長が和平案(1974年のスペイン人口調査をベースに有権者名簿を作成し、独立か併合かを問う住民投票を実施)を作成、モロッコとポリサリオ戦線の間接交渉開始。

1991年

国連安保理決議により、国連西サハラ住民投票監視団(MINURSO)発足。ポリサリオ戦線とモロッコが住民投票を受諾、停戦。

1992年

予定されていた住民投票はモロッコが有権者認定基準に異議を唱えて延期。その後、停滞。

1997年

ジェームス・ベーカー(元米国国務長官)国連事務総長個人特使により、ポリサリオ戦線とモロッコの合意のもと、有権者認定委員会の作業が再開。

2000年

有権者名簿発表。モロッコは、新たに14万人の申し立てリストを提出。

2002年

他国による西サハラ天然資源開発に関し、国連のハンス・コーレル司法顧問は国際法違反と発表。

2003年

ベーカー特使による和平案(5年間の自治体制の後に住民投票。有権者に継続的に西サハラに居住する者を追加)をポリサリオ戦線は受諾、モロッコは拒否。

2005年

モロッコの占領下にある地域で、以前にまして抗議行動が活発になっていく。

2007-2008年

ポリサリオ戦線はモロッコによる代替案(モロッコの主権下で西サハラ地域に自治権を付与)を拒否。安保理決議は民族自決権に根差した解決を求める。住民投票の選択肢として、独立、併合の他に自治を加える案をポリサリオ戦線は受諾、モロッコは拒否。こう着状態。

2009年

クリストファー・ロス国連事務総長個人特使がモロッコとポリサリオ戦線の直接協議を開始。

2010年

占領下の首都エル=アイウン郊外にグデイム・イジーク抗議キャンプ村が生まれ、約1か月続く。モロッコ当局の襲撃により解体。多くの逮捕者を出し、その内24名は軍事法廷で死刑を含む重刑。

2012年

モロッコはロス国連事務総長個人特使による仲介を拒否。潘基文事務総長はモロッコ国王に対し電話でロス氏の任務続行を通達。ロバート・ケネディ人権基金会代表団がモロッコ占領下の西サハラとティンドフ難民キャンプを訪問し、モロッコ当局による人権侵害を告発。

2013年

ポリサリオ戦線は、西サハラ水域を含む漁業協定について欧州司法裁判所に提訴。
裁判所は「住民の利益と願望が保証されず、産品に西サハラ産と表示されない場合は違法」と見解発表。
スーザン・ライス米国国連大使は、MINURSOの任務に人権監視を加える安保理決議の草案を試みたが、フランスの反対にあい、断念。

2016年

4月 欧州司法裁判所、欧州・モロッコの経済連携協定を西サハラに適用するのは違法であるとの判決。
5月 サハラ・アラブ民主共和国のモハメド・アブデラジズ大統領が死去、ブラヒム・ガリ氏が第2代大統領に就任。

2017年

1月 モロッコ、アフリカ連合への再加盟を認められる(1984年の脱退以来30年ぶりの復帰)。これにより、アフリカ連合にはサハラ・アラブ民主共和国とモロッコ王国が併存することに。
8月 モザンビークの首都マプートで開催されたTICAD閣僚会議で、西サハラ問題をめぐって混乱があり、会議の一部プログラムが中止に。サハラ・アラブ民主共和国代表団は開会式に参加。

2018年

1月 欧州司法裁判所の法務官(advocate general)、西サハラを含んでいる「欧州・モロッコ漁業協定」は破棄されるべきと発言。
5月 南アフリカ共和国で開催された「日本アフリカ官民経済フォーラム」にサハラ・アラブ民主共和国のサーレク外相が公式参加。
10月 東京で開催されたTICAD閣僚会議、サハラ・アラブ民主共和国の参加をめぐって開催直前まで紛糾。アフリカ諸国政府は「アフリカ連合構成員」名義で参加。サハラ・アラブ民主共和国代表団は事実上参加。

2019年

2月 EU司法裁判所がEU・モロッコ漁業協定が西サハラを含むのは違法と判決。
3月 EU、西サハラを含む新たなモロッコとの漁業協定を締結。
8月 西サハラ代表団が初来日。ガーリー大統領、サーレク外相、バーリAU大使がTICAD7本会議に参加。
12月 人権活動家アミナートゥ・ハイダル氏、ライト・ライブリフッド賞を受賞。

2020年

1月 南アフリカとモーリシャスが、エル=アイウンで開催されたフットサル・アフリカ杯大会を、抗議のためボイコット。
3月 ポリサリオ戦線、西サハラのリン鉱石輸入に投資しているとして、ニュージーランド年金基金を同国高等法院に提訴。
7月 西サハラに新型コロナウィルス感染が拡大。難民キャンプでも死者1名。

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