西サハラ友の会通信 No. 43(2024年7月分)

今回の注目記事は、西サハラ/占領地を現地取材したものです。占領下の人々の声が伝わってきます。また、フランスでの極右の台頭を歓迎するモロッコの論理も興味深いものです。問題の動向としてはマクロン大統領のモロッコ国王宛書簡が最大の話題です。フランスはもともとモロッコ寄りですが、西サハラに対するモロッコの主権を認めるのはこれが初めてです。アルジェリアやポリサリオ戦線は反発しています。

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目次

【西サハラ/占領地】
・西サハラへの投資、進む
・モロッコへの抗議活動の減少
・ダーフラでスペイン語を教える語学学校
・ダーフラにカトリック教会が復活

【モロッコ】
・仏極右の台頭をモロッコは歓迎
・アラブ3国(モロッコ・エジプト・UAE)・イスラエルと仏極右
・モロッコ、イスラエルのスパイ衛星2機を購入
・米国から軍用ロケットを購入

【スペイン】
・サパテロ元大統領、モロッコの夏を楽しむ

【フランス】
・マクロン大統領書簡:西サハラはモロッコの主権の枠内

【アルジェリアの反応】
・マクロン大統領書簡に対し、フランス大使を召還

【国連の反応】
・安保理決議に従って解決

【ポリサリオ戦線の反応】
・西サハラの未来はサハラーウィが決めること

【アフリカ諸国】
・ザンビアビジネス使節団、西サハラを訪問
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【西サハラ/占領地】
西サハラへの投資、進む
 西サハラの港町、ダーフラの北40kmに建設中の新港「ダーフラ大西洋港」の20%ができあがった。2028年までに完成、2030年には運用が始まる。新港建設事業の第一段階の予算は130億ディルハム(12億ユーロ、約1860億円)。港には300企業を収容できる工業団地も併設される。港に加え、ダーフラとモロッコ南部のティズニット(Tiznit)を結ぶ1,055kmの高速道路も計画されており、90億ディルハムかけ2028年までに完成する予定だ。これらの事業の80%は政府資金によるもので、民間部門は20%しか参加していない。
 (モロッコの行政区画である)ダーフラ・ウエド・アッダハブ県の知事ヤンジャー・エル=ハッタート(Yanja El Jattat)氏は、年間漁獲量が60万トンある漁業や観光の他、5,000ヘクタールのポテンシャルをもつミニトマト、メロン、ベリー類の生産(今灌漑されているのは1,000ヘクタール)、平均風速35kmある強風を使った再生可能エネルギーなどへの投資が計画されている。
 西サハラの人権団体CODESAの代表、アリー・サーレム・タデック(Ali Salem Tadek)氏は、こうした開発は「人口移動」と資源の違法な略奪をもたらし、紛争解決を不可能にすると批判している。(El Economista, 7 July 2024)
https://www.eleconomista.es/economia/noticias/12898912/07/24/marruecos-acelera-sus-inversiones-en-el-sahara-para-convertirlo-en-un-gran-centro-economico.html

モロッコへの抗議活動の減少
 ドゥジーミー・ガーリーヤ(Djimi Ghalia)さんは、エル・アイウンの独立支持派が多いエスマラ地区を古いフォードのフィエスタを運転して出発した後、絶え間なくバックミラーに目をやっていた。「バイクが1台と車が1台、あとを付けているわ。いつものことだけど」と、彼女はマグレブ訛りの強いスペイン語で言った。63才になる彼女は、ポリサリオ戦線を支援したとして16年間、モロッコ当局の秘密の刑務所に入れられていた。何箇所かの街角には警察や軍の車が止まっていた。「今、声をあげるのはすごく難しい。西サハラでは抗議行動がほとんどなくなっている。若者は警察がみてないところでちょっとだけデモをするだけ」、家に着くと彼女はそう説明した。「私服警官が抗議する人たちをビデオに撮り、一人一人のプロフィールを集めるているの。」
 「チンドゥーフ(ポリサリオ戦線がいる難民キャンプ)の支持者はわずかな人数でたまにデモするだけになった。ここには占領などというものはない。」そう洗練されたフランス語で語るのは、ラユーン(=エル・アイウン)の知事、アブドゥッサラーム・ベクラート(Abdesalem Bekrate)氏だ。彼は、モロッコ政府は西サハラのインフラ整備、雇用創出、補助金、免税措置など多大な努力をしていると言う。
 モロッコからの移住者が大量に押し寄せ、今やエル・アイウンの人口は50万人近くになっている。西サハラの全人口の半分だ。50年前、スペインの統計局が記録した人口はサハラーウィが75,000人、スペイン人が3万人だった。2010年のグデイム・イジーク抗議キャンプで緊張が高まって以後、大きな事件はない。ドゥジーミー・ガーリーヤさんも2013年5月以降大きな抗議行動はないと言う。
 抗議参加者に対する経済面での締め付けもある。例えば、ガーリーヤさんは「もし抗議活動に参加すれば、国民事業奨励証(national promotion card)を剥奪される可能性がある」という。小規模の資金援助をもらうためのカードだ。それを取り戻すためには、デモに参加しないという証文に署名しなければならない。さらに若者は、奨学金や、モロッコの学校で学ぶ西サハラの住民皆に与えられる通学定期を取り上げられるリスクもある。ガーリーヤさんは「これは最悪の弾圧で、こうした支援がないと、多くの人は生きていけない」と言う。
 2010年からエル・アイウンの市長を務め、独立(イスティクラル)党の国会議員でもあるムーレイ・ハムディ・ウルド・エッラシード(Mulay Hamdi Ould Errachid)氏は西サハラの安定はモロッコ政府が過去半世紀行ってきた経済開発のたまものだと語る。77才の市長は、ハッサニーヤにスペイン語を混ぜて語るが、インタビューは通訳を介して行われた。彼は、医学部ができ、大学病院ができ、環状道路ができると言った。「ここはフランコ時代、スペインの53番目の州だった。しかし、1976年にスペインが撤退した時、行政の建物がいくつがあった以外、掘っ立て小屋しかなかったよ」という。
 アムネスティ・インターナショナルの2023年の報告書は、国連事務総長特使のスタファン・デ・ミストゥラ氏が西サハラを訪問した時、モロッコ警察がいくつもの抗議デモを解散させたと書いている。エル・アイウンでは20数名が逮捕され、ダーフラでは4人が拘束され、デ・ミストゥラ氏と面会することができなかった。ガーリーヤさんは面会できた人の一人だ。その場で彼女は、沈黙しているからといって状況が普通だということではないと特使に伝えた。「活動家ですら難しいのだから、多くの(普通の)人にとってはなおさらそうだ」と彼女は言う。1991年、それまで失踪していた彼女や彼女の夫を含む300人が解放され、「(ムハンマド6世が国王になってすぐにハサン2世時代の弾圧を精算するためにつくった)平等・和解局を通じて、モロッコは私たちを被害者と認定し、補償として多額のお金をくれた。しかし、それは十分ではない。私たちの抗議は平和的なものだが、まだ鉛の時代(弾圧の時代)を生きている」と語る。
 エル・アイウンではデモはめっきり減り、少数の人たちが時折やっているにすぎない。多くのサハラーウィは政治から身をひいてしまった。そう語るのは、民族主義者の教師、アブドゥッラー・アル=ハイラシュ(Abdela al-Hairach、65)だ。サハラ以南からの移民を支援する移民開発協会の会長である彼は、政府は移民用の秘密の拘禁センターをつくったが、場所を明かしていないと、流暢なスペイン語で語った。「エル・アイウンには2,000人から3,000人のサハラ以南からの移民がいて、沿岸部にはもっといる。彼らは最低3,000ユーロほど払って、船でカナリア諸島まで行くつもりだ」と言った。
 モロッコは西サハラの自治案を掲げているが、真の政治的自治を与えると思うか、という記者の質問に対し、彼はこう答えた。「自分たちはモロッコと50年以上の付き合いがある。われわれがスペインのバスクやカタルーニャほどの自治を持つのは不可能だろう。」また、ガーリーヤさんは言う。「私たちは民族を超えて未来を共に歩むことを望んでいる。しかし、モロッコは私たちがどういう未来を望んでいるのか、それを尊重しなければならない。もしサハラーウィが自治を望めば、私たちもそれに従う。しかし、サハラーウィが独立を望めば、(独立は)サハラーウィが決定することだ。」
 スペイン撤退後もスペイン語の教育センターとしてエル・アイウンに存続した平和学校(Colegio La Paz)の卒業生が構成する「平和世代協会(Asociación Generaciones de La Paz)」の事務所には、60才代の十数人のサハラーウィが集って議論を行っている。協会の理事会メンバーたちだ。そこでは政治以外は何でも話せるという。「当会の規約は、目的を文化、教育においている」と、事務局長のバシール・ブソーラ(Bashir Bussola、65)は言う。彼はサラマンカ大学の経済学部卒だ。「とはいえ、いつも話の終わりは政治のことになってしまう」と言うのは、ラバトの大学でスペイン語学を学んだというガフムラ・エッビ(Gajmula Ebbi、62)で、「そうなるしかないんだ」と付け加える。彼は1975年にチンドゥーフに行き、難民キャンプでポリサリオ戦線に加わった。しかし、1992年にはエル・アイウンに戻り、「進歩社会主義党」の代議員としてモロッコの国会議員を14年務めた。(El País, 10 July 2024)
https://elpais.com/internacional/2024-07-10/las-protestas-nacionalistas-se-apagan-en-el-sahara-medio-siglo-despues-de-su-cesion-a-marruecos.html
https://archive.is/QNROT
*記事中に出てくるガーリーヤさんは当会のウェビナーにも登場したことがあり、以下で彼女の話を聞くことができます。

ガーリーヤ・ドゥジーミーさんの講演(日本語字幕付き)
2020年11月17日 西サハラ友の会のオンラインセミナーで
https://fwsjp.org/archives/5865

ダーフラでスペイン語を教える語学学校
 ブラーヒーム・ハマーヤダ(Brahim Hamayada)氏は10年前、ダーフラにウナムーノ(Unamuno)外国語学校を設立した。スペイン語を絶やしてはならないと思ったからだ。建物のフロアーの半分が学校にあてられており、スペイン語、英語、フランス語のクラスがある。最近、小さな図書室を設けた。ハマーヤダ氏は「われわれ自身のだと思う言語を守っているのだ」と言う。スィーダフメド・ブラーヒーム(Sidahmed Brahim)氏も創設者の一人だ。彼もまた「全力で自分たちのアイデンティティを守っている」という。アイデンティティとはサハラーウィでありまたスペイン人であることだ。
 学校の壁のいたるところにスペイン・ビルバオ出身の哲学者・詩人、ミゲル・デ・ウナムーノを讃えるポスターが貼られている。スペイン「98年世代」(1898年のこと)の代表的知識人であり、ハメヤーダは小学生の頃から崇拝していた。「わが精神を流れる血はわが言語であり、わが祖国とはそれが響き渡るところだ」という、彼の詩の一節が黒地に白い文字で書かれている。それは「スペイン系サハラーウィ」が感じているものを言い表している。
 学校は、セルバンテス・インスティチュート(日本だと国際交流基金に該当する政府の文化交流機関)が認証しているDELE試験(外国語としてのスペイン語検定)を行う他、スペイン国籍取得に必要な証書も出している。今、それがかなり需要があるらしい。
 生徒数は毎年100人ほどだが、増えている。そのため学校を拡大したいとして、スペイン政府に支援を求めている。しかし、スペインのさまざまな機関に手紙を出しても反応はない。
 スペイン撤退後、フランス語がスペイン語に取って代わった。エル・アイウンにはスペイン政府が運営する学校があるが、ダーフラにあるのはウナムーノだけだ。
 1975年、ハマーヤダ氏は10代で、家族とともにチンドゥーフに逃れた。しかし、1992年に戻って来た。ブラーヒーム氏は1951年に砂漠で生まれ、1979年までスペインの公務員としてマドリード協定の下でモーリタニアに移譲する土地にかかわる仕事をしていた。その後カナリア諸島に行って勉強し、1992年に西サハラに戻った。その年、数千人のサハラーウィがハサン2世によって恩赦を与えられたのだった。(QuéPasa, 10 July 2024)
https://quepasamedia.com/noticias/entretenimiento/diez-anos-salvando-el-espanol-en-el-sahara-occidental/
https://es-us.vida-estilo.yahoo.com/diez-a%C3%B1os-salvando-espa%C3%B1ol-s%C3%A1hara-093858602.html

ダーフラにカトリック教会が復活
 モロッコの侵攻以後40年間、時折閉鎖に追い込まれつつ、2年前に復活したカトリック教会がある。サハラ以南からやってきて、モロッコ当局の弾圧を受けている人々の需要に応えるためだ。1953年に設立された「カルメル山の聖母」教会は、ダーフラの中心部にあって地方議会とモロッコ政府内務省の地方事務所がある建物とともに広場に面している。イタリア人ブラザーのシルヴィオ・ベルトリーニ氏は「とっても質素な教会です」と言う。そしてミサが始まったが、4人のサハラ以南の人々と3人のヨーロッパからの旅行者が参列していた。スペイン植民地時代、スペイン人の役人や軍人など27,000人の信者がいたが、スペイン撤退後、その扉は閉められたままになっていた。
 モロッコ軍は教会を倉庫や兵舎として使ったが、2004年に建物を破壊しようとした。サハラーウィのグループがブルドーザーに対抗し、破壊を免れた。ただ、扉は閉じられたままで、司祭もたまにしか来なかった。それが、2015年に旅行者が、次いで移民たちがやってきたと、ベルトリーニ氏は言う。その年以来、定期的に教会を開け、日曜日にはミサを行うようになった。2年前、現地の信徒たちは教会を常時開けることを決定し、ベルトリーニ氏もエル・アイウンからダーフラに移った。「今では日曜日には40人から70人がやってきます。ほとんどが移民で、時々旅行者もいます。移民はコートジボワール、セネガル、マリ、ブルキナファソ、とくにサハラ以南から来ます」という。
 移民たちはカナリア諸島に向かって大西洋に乗り出す。世界でもっとも危険なルートだ。1月から5月だと、45分に1人が死んでいる。ダーフラの缶詰工場で働いたり、観光産業で働いたりしながら金を貯め、出発を待つ者もいる。モロッコ当局は彼らを拘束し、遠くへ移送する。そのため移民たちは助けを求めて教会にやってくるのだ。
 「とくに弱い立場の女性を気にしている」と白く長い髪をたなびかせ、あごひげを生やしたベルトリーニ氏は言う。今、移民は増えており、毎年150人ぐらいを世話しているという。世話というのは、薬、食料、女性・子ども用の衛生用品、衣服などで、住民からの寄付による。移民たちは狭いアパートにひしめきあって暮らしているが、決して帰ろうとはしない。帰ると「敗北」とみなされるからだという。(El Independiente, 12 July 2024)
https://www.elindependiente.com/internacional/2024/07/12/la-iglesia-espanola-que-se-salvo-de-las-excavadoras-marroquies-y-resucito-en-los-territorios-ocupados-del-sahara-occidental/
https://archive.is/Sp3r7

【モロッコ】
仏極右の台頭をモロッコは歓迎
 7月7日仏国民議会選挙前のスペインの報道で、イスラム諸国では、排外主義的でイスラム嫌い(イスラモフォビア)の傾向をもつ欧州極右の台頭を懸念する声が強いが、モロッコではフランスの極右「国民連合(RN)」の選挙での躍進は悪いことではないと受け止められていると報じられている。それは国民連合がモロッコの西サハラに対する主権を認めるからだ。国民連合はモロッコを戦略的に重要な国とみなす。欧州議会においても、2023年12月、3人のモロッコ人ジャーナリストの釈放を求める決議を採択した際、スペイン社会労働党メンバーとともに反対に回った。また、国民連合が政権をとれば、フランスのアルジェリアとの関係は確実に悪化するとみられている。それはモロッコにとっては都合がいいことなのだ。(El Confidencial, 4 July 2024)
https://www.elconfidencial.com/mundo/2024-07-04/marruecos-perspectiva-victoria-francia-agrupacion-nacional-elecciones_3916883/

アラブ3国(モロッコ・エジプト・UAE)・イスラエルと仏極右
 7月7日仏国民議会選挙(決戦投票)で、国民連合は定数577議席中143席を獲得、3位に留まった。(注:選挙前は300議席で第1党になるかと予想されたが、左派と中道が連携し極右を抑えた。)近年、モロッコ・エジプト・UAE(アラブ首長国連邦)のアラブ3国とイスラエルは国民連合を歓迎している向きがある。その理由は、排外主義的な国民連合ではあるが、決してアラブ諸国の独裁政権を嫌うような政党ではないというところからだ。彼らはイデオロギー的、倫理的な関心はないのだ。
 そもそもハサン2世の時代、ルペン党首(当時は国民戦線)をモロッコは歓迎していた。国民戦線の指導者たちはアルジェリアの独立をフランスにとって大きな損失とみていたが、それに引き換え、モロッコは彼らと響き合うものがあった。ハサン2世の右腕、ドリース・バスリー(Driss Basri)は、ジャン・マリー・ルペンが1991年に再婚した際、彼にたくさんの贈り物をした。また、1990年にルペンがハサン2世を訪ねた際、国民戦線の欧州議会議員はみなカナリア諸島にいて、そこにバスリーはチャーター機を手配し、全員をダーフラ(西サハラ)に連れて行き、そこからラバトに運んだ。彼らは熱烈な歓迎を受け、1週間祝賀ムードが続いた。国民連合がモロッコの西サハラに対する主権を認めるという意思を密かに示していたのは、アルジェリアへの嫌悪からだった。
 国民連合と連携した共和党(LR)の党首エリック・シオッティは昨年モロッコを訪問した。その際、モロッコの政治家との会合やメディアとの会見をすべて取り仕切ったのが、ESLネットワークの中東局長オマル・アラウィー(Omar Alaoui)だった。ESLネットワークとはロビー会社で、フランスにおける強力なモロッコ・ロビーを行っており、モロッコからのフェイクニュースのチャンネルになっている会社だ。オマール・アラウィの重要な顧客はフランスのモロッコ大使館であり、シオッティにモロッコ行きを進言したのも彼だった。モロッコ政府がコントロールするLe360(マクロン大統領がホモセクシュアルだとの噂を流したことで知られる)やテル・ケルといったメディアを通じて、シオッティは西サハラはモロッコのものだとする立場を表明した。彼はモロッコが行っている西サハラの開発は現地住民の利益になっているというモロッコの宣伝をそのままに繰り返していた。モロッコの閣僚たちとの食事では2007年の大統領選が話題になった。モロッコ側は、フランスで極右が政権をとれば、アルジェリアとのバランスをとろうというフランス外交も変化するだろうと期待していた。彼らはシオッティが反移民の話をしても、反論もしなければ驚きも示さなかった。
 イスラエルも国民連合に期待を寄せている。ハーレツ紙によると、2010年以降イスラエル政府は西岸の植民地化の支持をえようと欧州の極右勢力に近づいてきた。外相だったリクード党のアミチャイ・チクリはタイムズ・オブ・イスラエルに「イスラエル政府はマリーヌ・ルペンがフランス大統領になるのを喜ぶだろう。ネタニヤフ氏と私は同じ意見だと思う」と述べている。国民連合の党首ジョルダン・バルデラは「パレスチナ国家を承認することはテロリズムを承認することだ」と述べる。イスラエルの「脱悪魔化」を進めるため、欧州極右勢力は支持者の反ユダヤ主義的言辞を抑え込み、むしろイスラム主義に対する闘いにおいてイスラエルを支持すると公言してきた。一方で彼らはホロコーストを否定したり、ファシストだった過去をもつわけだが、そうした彼らのイメージを忘れさせようとするものだ。
 UAEとエジプトはともに政治的イスラムと戦っている。ムスリム同胞団を支援するカタールを脅威をみなす2国はフランスでカタールが影響力を増さないよう、国民連合に近寄っている。2019年Mediapartというメディアが暴露したところによると、UAEは国民連合の口座に800万ユーロを振り込んだ。当時、2017年の選挙に大枚をはたいた国民戦線は500万から600万ユーロの赤字をかかえていた。寄付は、国民戦線がメディアを通じてカタールとサウジアラビア(共にUAEのライバル)を「国際的テロリズムのスポンサー」としてこき下ろしていたことの見返りだった。例えば2014年9月30日、マリーヌ・ルペンは「フランス24」で中東に対するビジョンを語った際、フランスはカタールやサウジアラビアと絶縁すべきだ、彼らは世界中でイスラム原理主義を支援していると言った。
 国民連合はイスラム主義に対する闘いのモデルとしてエジプトを称賛する。2015年、エジプトのシシ政権の残虐ぶりが報道されていたにもかかわらず、マリーヌ・ルペンはエジプトを訪問し、シシ大統領から首相、諜報局長などと面会した。現地メディアは彼女のカタールに対する態度を称賛した。(Marianne, 8 July 2024)
https://www.marianne.net/monde/maroc-israel-emirats-egypte-pourquoi-ils-esperaient-la-victoire-du-rn-aux-legislatives

モロッコ、イスラエルのスパイ衛星2機を購入
 イスラエル・アエロスペース・インダストリーズ(IAI)が7月10日に発表したところによると、モロッコに2機の先進的なスパイ衛星を販売した。それはOpsat 3000シリーズの衛星で、イスラエル国防軍も偵察用に用いているものだ。10億ドルの取引となる。モロッコはそれまで使っていた解像度の低い仏伊独共同開発の衛星と入れ替える。モロッコはアブラハム合意後、IAIから5億ドルのBarak 8防衛システムをすでに購入している。IAIはモロッコの他、インド、アゼルバイジャン、イタリア、シンガポールにスパイ衛星を販売している。フランスの報道によると、スパイ衛星の取引は昨年夏に決まったことで、ガザ戦争の前であるが、その後もモロッコは取引をキャセルしなかった。IAIの労組委員長ヤイル・カッツによると、軍需産業の雇用が増えているという。彼はハイム・カッツ観光相の息子で、自身もリクードの党員だ。(Jerusalem Post, 10 July 2024)
https://www.jpost.com/brandblend/morocco-to-purchase-two-israeli-spy-satellites-for-1-billion-809716

米国から軍用ロケットを購入
 昨年、モロッコは米国に高機動ロケット砲システム(HIMARS: High Mobility Artillery Rocket System)18機の購入を申請した。今年はそれを用いて発射する長距離ロケット砲、ATACMSミサイル(Army Tactical Missile System)を注文した。射程は300km。周辺機材を含め、価格は合計5億2,420万ドルに及ぶ。米国は同ミサイルをモロッコ以外にも、エストニア、ラトビア、リトアニア、ポーランドに売る。これらの販売が終了するのは2028年になる。(Infodefensa, 9 July 2024)
https://www.infodefensa.com/texto-diario/mostrar/4922214/eeuu-encarga-lockheed-martin-fabricacion-misiles-largo-alcance-atacms-marruecos
https://archive.is/KNEFl

【スペイン】
サパテロ元大統領、モロッコの夏を楽しむ
 今やすっかり親モロッコ派の代弁者となり、モロッコの西サハラ自治案の支持者となったサパテロ元大統領(社会労働党)は、海浜リゾートであるモロッコのエッサウィラで開かれた人権フォーラムに招かれ、音楽と民族舞踊、レストランでのディナーを楽しんだ。スペインの駐モロッコ大使も一緒だ。サパテロ氏は「平和は人間性の最も重要な任務だ。平和とは対話、尊敬、近しさだ。それはモロッコとスペインそのものだ」と述べた。モロッコ国内の抑圧にはまったく触れなかった。また、サパテロ氏は「在外モロッコ人評議会」が主催した「モロッコ、スペイン、ポルトガル:未来ある歴史」と題するフォーラムでも開会のスピーチをした。2030年ワールドカップはこの3国がホスト国となる。(El Independiente, 1 July 2024)
https://www.elindependiente.com/espana/2024/07/01/zapatero-invitado-estrella-del-verano-marroqui-la-historia-de-espana-no-se-entiende-sin-marruecos-una-gran-nacion/
https://web.archive.org/web/20240701181247/

【フランス】
マクロン大統領書簡:西サハラはモロッコの主権の枠内
 マクロン大統領は、モロッコ国王に宛てた戴冠25周年(7月30日)を祝う書簡の中で、フランスがモロッコの西サハラに対する主権を認める表現を用いた。具体的には「西サハラの現在と未来はモロッコの主権の一部であると考えます。したがって、貴王国の国家安全保障にかかわる本件に対するフランスの立場の不可侵性を確認するものです」というものだ。また、「フランスにとって、モロッコ主権下での自治こそ、この問題が解決されるべき枠組であり、かかる自治案に対するわれわれの支持は明確で、一貫したものです。。。。フランスにとって、それは、国連安保理の決議に沿ったかたちでの、公正で永続的な交渉による政治的解決を達成する唯一の基礎となるものです」とも書いている。(X by Georges Malbrunot, 30 July 2024)
https://x.com/Malbrunot/status/1818220255254065628

【アルジェリアの反応】
マクロン大統領書簡に対し、フランス大使を召還
 マクロン大統領がモロッコ国王に宛てた書簡が明らかになり、アルジェリアは不満を表明するため、7月30日、フランス大使を召還した。(AFP/BFMTV, 30 July 2024)
 それに先立つ7月25日、アルジェリアはフランスがモロッコの西サハラ自治案に賛意を表することを、正式にフランス政府より通知されており、それに対して「極めて不満だ」と表明していた。(APZ, 25 July 2024)
https://www.bfmtv.com/international/afrique/algerie/sahara-occidental-l-algerie-rappelle-son-ambassadeur-francais-apres-la-reconnaissance-de-la-souverainete-du-maroc_AD-202407300442.html
https://www.aps.dz/algerie/173759-soutien-de-la-france-au-plan-d-autonomie-marocain-pour-le-sahara-occidental-l-algerie-exprime-sa-profonde-desapprobation

【国連の反応】
安保理決議に従って解決
 ステファン・ドゥジャリック国連事務総長報道官はフランスの立場表明に対するコメントを避け、問題は国連安保理の枠組で解決されなければならないとだけ述べた。(Infobae, 20 July 2024)
https://www.infobae.com/america/agencias/2024/07/30/onu-dice-que-el-conflicto-del-sahara-debe-seguir-las-resoluciones-del-consejo-de-seguridad/

【ポリサリオ戦線の反応】
西サハラの未来はサハラーウィが決めること
 ポリサリオ戦線のシディ・オマール国連代表は「西サハラの現在と未来を決めるのはフランスではなくて、サハラーウィ人民だ」、「フランスもモロッコもサハラーウィ人民の意志を曲げることはできない」と述べる声明を発表した。(Infobae, 30 July 2024)
https://www.infobae.com/america/agencias/2024/07/30/el-futuro-del-sahara-lo-decide-el-pueblo-saharaui-no-francia-dice-el-frente-polisario/

【アフリカ諸国】
ザンビアビジネス使節団、西サハラを訪問
 モロッコとザンビアは2017年に設置されたザンビア・モロッコビジネスフォーラムを再開する。6月21日、ザンビアのアルバート・ハルワンパ(Albert Halwampa)開発庁長官とアンソニー・カバゲ(Anthony Kabaghe)商工会議所会長がモロッコを訪問した。滞在中、ザンビアからの訪問団はエル・アイウンを訪問。ザンビアはモロッコの自治案の強力な支援国であり、2020年エル・アイウンに領事館を開設している。(Africa Intelligence, 1 July 2024)
https://www.africaintelligence.fr/afrique-du-nord/2024/07/01/rabat-et-lusaka-cherchent-a-relancer-leurs-echanges-commerciaux%2C110252601-bre

以上。