西サハラ友の会通信 No. 42(2025年2月6日)2024年6月分

 2024年6月分のニュースをお送りします。ベルギーで進められていた欧州議会の汚職事件、モロッコゲートのモロッコ人容疑者の捜査・裁判がモロッコに委ねられることになり、これは事実上ベルギーによる事件捜査の放棄といえるものです。ベルギーはそれとモロッコへの不法移民移送を「取引」したようです。スペインでは政府、モロッコ、市民の攻防が続いています。

No. 42 目次

【西サハラ/解放区】
・2021年以来、ドローン攻撃の死者80人超え

【モロッコ】
1455年の地図「モーリタニアまでモロッコだった」
・モロッコ国王の母、逝去

【モロッコゲート/ベルギー】
・モロッコに捜査・裁判を移譲

【スペイン】
・テレビ番組:サハラーウィ活動家が元首相に挑戦
・Sumar、スペイン企業のパレスチナと西サハラでの活動を禁止する法案を提出
・サパテロ元首相、選挙中、セウタでモロッコ料理
・アラブ首長国連邦企業、Naturgy買収を断念
・グラナダでの西サハラ・パレスチナ会議、モロッコ側が妨害
・国会での西サハラに関する決議

【フランス】
・戦略コンサルタントESL & Networkのモロッコ事務所副所長交代

【ドイツ】
・モロッコと水素・再生可能エネルギー協定を締結
・モロッコ・ドイツ戦略対話


【西サハラ/解放区】
2021年以来、ドローン攻撃の死者80人超え
 仏ラ・クロワ紙によると、西サハラの解放区でモロッコ軍のドローン攻撃による死者が80人を超え、当地に住んでいた数千人のベドウィンが避難を余儀なくされた。西サハラ難民キャンプの「サハラーウィ政治囚と失踪者家族協会」が行った調査で、2021年以来、86名が死亡し、49台のベドウィンの車両が破壊されたことが明らかになった。同協会の代表アブデルスラーム・オマル・ラ布施ン(Abdelslam Omar Lahcen)は、モロッコ軍のドローン攻撃は解放区から民間人を「一掃する」ことが目的だったと語った。
 ラ・クロワ紙の記者は、ドローン攻撃の被害を受けたベドウィンキャンプの生存者をインタビューした。「2022年1月28日、空飛ぶ機械が初めてやってきた。戦闘機の爆音とはまるでちがって、あたかも風が吹くような音だった」とラディジャトゥ(69)は言う。二度目にやってきた時、「キャラバンのランドローバーめがけて撃ってきた」。車の中にいた運転手が死に、2人が負傷した。一人はラディジャトゥの息子だった。「誰もが怒り悲しみの中でちりぢりになってしまった。その日の終わりまで会うことはなかった」と言う。彼らは他のベドウィンに助けられて生き延びた。
 「彼らが遺体を見つけ埋葬してくれた。私たちにお茶、砂糖、小麦をくれたが、その夜、私たちは何も食べれず、眠れなかった」と彼女は言う。こうしてそこに何世代も住んでいた2万人から3万人のベドウィンはドローンに追いかけ回されたのだ。
 また、ラ・クロワ紙は、難民キャンプのスマラ地区ではドローンの犠牲者を知らない人はいないぐらいだと書いている。「1975年、3才の時、家族と一緒にエル=アイウンから難民キャンプに逃れてきたファティマトさんの場合、ある日、サハラーウィ軍の人がやってきて彼女の夫に前線で何が起きているのかを語っていた。その時、同僚たちは4輪駆動車に残って休んでいたそうだ。そこに『風が吹いて』、爆発がおきた。遺体はそこに残されたままだ。(なぜなら)殉教者は死んだところに埋められなければならないからだ」と同紙は書いている。(El Watan, 3 Jun. 2024)
https://elwatan-dz.com/sahara-occidental-plus-de-80-morts-dans-des-attaques-de-drones-marocains-depuis-2021

【モロッコ】
1455年の地図「モーリタニアまでモロッコだった」
 モロッコのメディア「Le360」は、1455年の地図や書籍をもちだし、当時のスルタン王国がモーリタニアまで延びていたと主張した。一方、セウタ(1580年からスペイン領)とメリリャ(1497年からスペイン領)、カナリア諸島(1478-1496年)については何も述べていない。「1455年から1782年にかけてポルトガル、イタリア、フランス、ドイツで出版された地図や本に含まれる。。。。モロッコ王国の南の国境線はアフリカにおけるモロッコ帝国のみごとな展開ぶりを初めて示したものとして大変な歴史的価値がある」と、「Le360」は書いている。同メディアによると、15世紀から今日まで地図作製者たちはモロッコの国境を今日のモーリタニアにまで描いていた。ブージュドゥール、ラユーン(エル・アイウン)は常に地図ではモロッコの領土とされていた。ジェノバの地図作製者バルトロメオ・パレトの地図でも、ブージュドゥールはモロッコ領だった。
 カルナロ・アトラス(コレクション)に含まれている1489年にポルトガルで作成されたモロッコ近海の航海図は、2011年にヨーロッパで出版された。このバルトロメオ・パレトの35年後に出版された航海図には、モロッコの大西洋岸に到達した最初のヨーロッパ人探検家によるアップデートされた地図が含まれている。その地図ではアルジェリアを含む地域全体がモロッコ王国とされていて、モロッコのスルタンの権力はモーリタニアまで及んでいたとしている。
 3番目の地図はフランス公文書館にある18世紀のアンヴルコレクション(Anville Collection)にあり、疑いもなく最も重要なもので、17世紀にかけてモーリタニアは決定的にモロッコ王国の一部になっていたことを示している。著者、ジャン・バプティスト・ダンヴィル(Jean-Baptiste d’Anville)はモロッコ王国の国境をモーリタニアのヌアジブ岬まで引いている。この地図によれば19世紀までモロッコ王国の権威がタンジェからアフリカ諸国に及んでいたことになる。
 また、1776年から1782年の間にアントン・フリードリッヒ・ビュシング(Anton Friedrich Büsching)とうルーテル派の地理学者・哲学者がローザンヌでドイツ語で出版した12巻の旅行記には、「モロッコ帝国」に関する最初の質の高い分析が含まれている。それによると、モロッコはギニアに起源をもち、セネガル、マリ、コートジボワールにまで版図を広げていた。モロッコのスルタンは「アフリカの皇帝、4王国の王」と呼ばれていたという。西アフリカはモロッコ人スルタンたちによって統治され、モロッコ王国の国王がアフリカの皇帝の称号を得ていたという。彼は聖なる法律をつくり、裕福であるが、特定の所領をもたず、帝国全体が彼の所領だという。それぞれの国家は知事(caid)と宗教者(fqih)によって統治され、皇帝は彼らに給料を与えていた。さらに、モロッコはオランダ人、イギリス人、フランス人がスルタンたちに金を支払って貿易する権利をえていたという。モロッコ帝国はイスラム教を奉じていたがトルコより寛容だったとも書いている。
 「Le360」は、つまり、少なくとも569年の間、サハラ(西サハラ)は完全に(モロッコ)王国に依存していたと言えるのである、と結論している。(La Rázon, 16 Jun. 2024)
https://www.larazon.es/espana/marruecos-evoca-planos-estudios-1455-extender-reino-mas-alla-mauritania_20240616666ed350fc83ee000134c8e4.html
https://archive.is/EirYr

モロッコ国王の母、逝去
 故ハサン2世の妻で、ハサン2世死後、王宮の警備長とパリで二度目の結婚をしたラッラ・ラティーファ(Lalla Latifa)が6月29日(土)に亡くなった。78才だった。膵臓ガンを患い、パリの病院で治療を受けていた。ハサン2世との間に5人の子どもをもうけ、その2番目が現国王ムハンマド6世だ。現国王は1963年生まれ、1999年に戴冠した。本名をラティーファ・アマフズーン(Latifa Amahzoune)といい、内陸部のジェニフラ出身で、ザヤネスのベルベル族に属する女性だったのを、ハサン2世がアラブ系王室とベルベル人の結びつきを強めるために選んだという。結婚後も、ハサン2世はハーレムを維持し続けた。ハーレムは現国王になって廃止された。
 彼女には異母兄弟がいて1971年のクーデター未遂に関与したため1971年7月、ハサン2世によって射殺された。射殺の模様はテレビでライブ放送された。彼女はほとんど公衆の面前に現れなかった。ハサン2世死後、数ヶ月したところで、王宮の警備隊長と一緒にいるとことを目撃されている。結局2人は結婚するが、ムハンマド6世は結婚式に参列しなかった。2人はパリの豪華なアパルトマンに暮らした。
 ムハンマド6世はパリの病院に母を何度か見舞った。2人の関係はいろいろあったが、おそらく改善したと思われる。国王はラバトに母親の名を冠した1,200平米のモスクを建設し、2018年5月にお披露目を行った。(El Confidencial, 29 Jun. 2024)
https://www.elconfidencial.com/mundo/2024-06-29/muere-madre-mohamed-vi-lalla-latifa_3913974/

【モロッコゲート/ベルギー】
モロッコに捜査・裁判を移譲
 4月、ベルギーの裁判所は、検察の求めに応じ、カタールゲート(ということはモロッコゲートも)の2人のモロッコ人容疑者の捜査をモロッコに委ねるという前代未聞の決定を行った。おそらく裁判もモロッコでされるだろうが、一体誰が、ちゃんと捜査されるなどと思うだろうか?
 なぜ、ベルギーの司法当局は16ヶ月も捜査したあげく、モロッコの裁判所に事件を引き渡すことにしたのか?ブリュッセルの新聞ル・ソワール紙は、ベルギーのアレクサンダー・ドゥ・クロー首相はモロッコを訪問し、モロッコ人不法滞在者をモロッコに送還する了解を得た。700人がまもなく送還されると、当時発表された。モロッコはまたしても移民を使って経済的、政治的利益を得たことになるのか。
 こうしたことはベルギーが初めてではない。3年前、モロッコとオランダはある労働分野の協定を結んだ。政府は2022年9月までその詳細を議会に伝えなかった。それは送還を加速させるという内容だった。しかし、その見返りに、オランダはモロッコの内政に干渉しないという約束をした。つまり、2018年にステフ・ブロック外相がリフ地方の平和的なデモ弾圧を批判したようなことはできない、ということだ。また、オランダは、オランダ政府が資金を提供しているNGOがモロッコでもっているプロジェクトについてモロッコと「協議」することも約束した。さすがにスペインとベルギーはここまで譲歩はしていない。果たしてこれは、モロッコがオランダのNGOのプロジェクトに拒否権をもつことになるのか。
 スペインの状況はというと、マスメディアが自己規制している。RTVEは(アルジェリアの)サハラーウィ難民キャンプの活動を報じるのを禁止した。ドイツ、フランス、英国、ベルギーの公共放送は、モロッコ国王についての番組を放送し、モロッコが彼らの国の内政に干渉している調査報道を行っている。フランスの公共ラジオ放送はペガサス(スパイウェア)事件についての合同調査に参加することすらできた。はたして、スペインのメディアが同じことをすると想像できるだろうか?サンチェス首相は報道の自由法が必要だと言っているが、まさにその通りだ。報道の自由があれば、スペインのメディアも他のヨーロッパのメディアの例に倣うことができるようになるだろうから。(El Confidencial, blogs, 20 Jun. 2024)
https://blogs.elconfidencial.com/mundo/tribuna-internacional/2024-06-20/marruecos-amedrentar-inmigracion-suspension-cooperacion-terrorista_3906849/
https://archive.is/iAhNl

【スペイン】
テレビ番組:サハラーウィ活動家が元首相に挑戦
 6月4日(火)パブロ・イグレシアス(ポデモスのリーダー)のテレビ局、カナル・レッドが行った討論会に、ホセ・ルイス・サパテロ氏(社会労働党の元首相でモロッコ寄りで知られる)と3人のサハラーウィが出席した。サパテロ氏は、サンチェス首相の西サハラ政策転換の背後にいた人物だとも考えられている。最後の方で、サハラーウィ活動家のファティ・ジャダード(Fati Jadad)がサパテロに迫った。今やスペインはパレスチナの占領を非難する一方で、モロッコの西サハラ占領を認めている。ジャダード氏は「どうしたらそういうダブルスタンダードとサハラーウィに対する敵対的な態度をとれるのか、理解に苦しむ。スペインは道徳的な責任だけではなく、政治的、法的責任を有していることを忘れてはならない」と述べた。(El Independiente, 5 Jun. 2024)
https://www.elindependiente.com/espana/2024/06/05/la-saharaui-que-se-encaro-con-zapatero-por-su-apoyo-a-marruecos-tiene-una-posicion-indigna-y-de-doble-rasero/
https://archive.is/ZbN5E

Sumar、スペイン企業のパレスチナと西サハラでの活動を禁止する法案を提出
 第二副首相ヨランダ・ディアスのグループ「スマール(Sumar)」は、6月5日(水)、パレスチナ占領地と西サハラ占領地での経済・商業活動を禁止する法案を下院に提出した。違反した場合最大10年の禁固を科す。提案者はサハラーウィ議員のテシュ・シディ(Tesh Sidi)他2名の議員で、この法律の目的は国際法の諸原則に従い、占領地での商業的・経済的搾取を止めさせることだと説明された。(El Independiente, 5 Jun. 2024)
https://www.elindependiente.com/espana/2024/06/05/sumar-registra-una-propuesta-de-ley-para-prohibir-el-negocio-de-las-empresas-espanolas-en-palestina-y-el-sahara-occidental/
https://archive.is/GQnVC

サパテロ元首相、選挙中、セウタでモロッコ料理
 セウタの社会民主党について選挙不正の内部告発があった。2023年4月19日、元首相のルイス・ロドリゲス・サパテロ氏(社会労働党)はセウタを訪れ、1月後に迫った地方選挙のための大々的なキャンペーンに参加した。ラマダンの時期だったので、夕方に断食明けの食事が用意された。場所はモロッコとの国境に近い結婚式場で、演説が終わるとモロッコ料理が提供された。告発によると、食事はモロッコのケータリング会社に発注され、1,000人分で4万ユーロだった。しかし、代金は(党の)別口座から払われており、粉飾するために、セウタのある料理店がインボイスを偽造していたという。セウタの社会労働党の会計によると、党本部からの選挙資金は1万ユーロしかなかった。しかし、訴えによると、その時かかった経費は10万ユーロあり、党の中に資金集め係がいたことをうかがわせるという。社会労働党は臨時の会合をもつことになった。(El Debate, 7 Jun. 2024)
https://www.eldebate.com/espana/20240607/denuncia-financiacion-ilegal-psoe-ceuta-incluye-compras-dinero-negro-marruecos-agasajar-zapatero_203075.html

アラブ首長国連邦企業、Naturgy買収を断念
 UAEのエネルギー会社「タカ(Taqa)」はスペインのエネルギー会社ナトゥルギー(Naturgy)の株を100%共同で取得したいと発表していたが、買収を断念することにした。本買収計画に対してはスペイン政府が難色を示していた。スペイン政府はタカに対し、本社をスペイン内に留める、スペインの証券取引所に留まる、雇用を維持するなどの条件を課していて、タカの取締役会が最終的に了承しなかったものと思われる。また、スペインへのガス供給国として1位を占めるアルジェリアも、UAEの参入はモロッコの介入を招くとして、本買収計画に反対していた。(La Razón, 10 Jun. 2024)
https://www.larazon.es/economia/emirati-taqa-abandona-opa-naturgy-oposicion-moncloa-argelia_2024061066672462e73ed600015c4b9b.html

グラナダでの西サハラ・パレスチナ会議、モロッコ側が妨害
 エル・インデペンディエンテ紙へのサハラーウィの投稿によると、5月23日、アフリカの非植民地化をめぐる会議がグラナダのユーロ・アラブ財団で行われたが、それをモロッコ領事館とモロッコ人グループが妨害しようとしたという。会議はパレスチナと西サハラに焦点をおいた。財団の事務局長はモロッコ領事館から会議の開催を中止するよう求める電話を受けたと言っている。また、会議参加者も会議に参加しないよう電話を受けたという。他の学術的な会議も同様に圧力を受けている。例えば、サラマンカ大学での西サハラについての会議がハエン大学に移らなければならなかったことがある。(El Independiente, Opinion, 15 Jun. 2024)

国会での西サハラに関する決議
 6月20日、スペイン国会では西サハラに関するいくつかの決議に対して採決が行われた。以下はその結果。出席議員の数は348。改めてPSOE(与党・社会労働党)の孤立ぶりが明確となった。


1. 国会が西サハラ及びセウタ、メリリャの税関について採択した立場をモロッコに伝達する。賛成215。
2. 西サハラについての従来の中立的立場へ戻る。PSOE(121議席)のみ反対。
3. EU内でセウタとメリリャが超周辺地域だという地位をプロモートする。反対121(PSOE)、棄権19、賛成200。
4. メリリャとセウタの税関を90日以内に再開するようモロッコと協議する。反対121(PSOE)、棄権21、賛成181。
5. 西サハラの空域に対するスペインの管理権の承認。反対121(PSOE)、棄権52、賛成175。
6. MINURSOを支援する。反対121(PSOE)、残り全員賛成。
7. モロッコと同程度にサハラーウィ難民キャンプへの援助を増やす。反対121(PSOE)、残り全員賛成。(Contramutis, 21 Jun. 2024)
https://contramutis.wordpress.com/2024/06/21/los-medios-de-comunicacion-destacan-la-soledad-del-psoe-al-defender-la-postura-de-sanchez-sobre-el-sahara-occidental/


【フランス】
戦略コンサルタントESL & Networkのモロッコ事務所副所長交代
 経済インテリジェンス界で名を馳せるフランスのコンサルタント企業、ESL & Network社は、パリ、ブリュッセル以外では、ドバイとラバトに事務所をもつ。そのラバト事務所の副所長が交代した。新副所長、ドハー・ルカスミー氏(Doha Lkasmi)は、Sciences-Po(シアンスポ:パリ政治学院)で北アフリカについての授業をもっており、かつてはモロッコ外務省、モロッコ政府のユネスコ代表部で働いたことがある。博論のテーマは「モロッコの総合戦略(Grand Strategy)におけるサハラ」だった。ドハー氏はフランスの共和党右派政治家たちに近く、エリック・シオッティ(Eric Ciotti)、ラシダ・ダチ(現文化相)の2023年5月のモロッコ行きを支援した。この2人の政治家は西サハラに対するモロッコの主権を認める発言をしている。(Africa Intelligence, 11 Jun. 2024)
https://www.africaintelligence.fr/afrique-du-nord/2024/06/11/le-cabinet-esl–network-restructure-sa-filiale-marocaine%2C110245507-art

【ドイツ】
モロッコと水素・再生可能エネルギー協定を締結
 6月28日、ドイツとモロッコは水素生産及び再生可能エネルギー施設建設において協力する協定を締結した。ドイツの経済・開発相らは、モロッコは太陽光・風力発電を行い、グリーン水素を生産するすばらしい条件を備えていると、共同声明で述べている。モロッコは2030年までに電力の52%を再生可能エネルギーでまかなうと表明しており、500メガワットの出力をもつ世界最大の太陽光プロジェクト、ヌール・ウルザザート太陽光施設(Noor Ouarzazate Solar Complex)を受け入れている。(OilPrice.com, 28 Jun. 2024)
https://oilprice.com/Latest-Energy-News/World-News/Germany-and-Morocco-Sign-Hydrogen-and-Renewables-Pact.html

モロッコ・ドイツ戦略対話
 6月28日、ドイツのバールブロック外相とモロッコのブリタ外相は2年毎に行われる二国間戦略対話後に共同声明を発表した。声明によると、両国はルールに基づく国際秩序と国連憲章の基本原則の重要性を再確認し、国連憲章の違反と武力の行使を非難した。とくにウクライナへのロシア侵攻を非難。西サハラについては、ドイツの立場は、公正で実際的、永続的で、双方に受け入れ可能な解決策を探す国連主導のプロセスを支援するものである。モロッコとドイツは、政治的プロセスにおいては国連が唯一の場であることに合意し、現実的で、実際的、持続可能で妥協に基づく解決策を模索する上での当事者の役割と責任にふれた国連安保理決議2703を再確認した。ドイツはモロッコが2007年に提示した自治案を真剣で信頼のおける努力とみなし、解決のよき基礎となるとみなす。また、モロッコとドイツはスタファン・デ・ミストゥラ特使への積極的な支持を再確認し、MINURSOへの支持も確認した。(Federan Foreign Office of Germany, 28 Jun. 2024)
https://www.auswaertiges-amt.de/en/newsroom/news/-/2665270

以上。