事実無根のテロ警告
11月27日、スペイン外務省は「サハラーウィ難民キャンプにテロ襲撃の危険性があるため、当地への移動は控えるように勧告します」と発表しました。
スペインでは12月の第一週に連休があるため、これを利用して多くの市民(注)やNGOが難民キャンプを訪問するため、毎年この時期にはチンドゥーフ行きチャーター直行便が数便就航しています。
「テロ警告」が出るやいなや、ポリサリオ戦線、西サハラ支援団体、駐アルジェの米国大使など、さまざまな方面からこれを事実無根とする抗議や反応が湧き起こりました。
西サハラに駐屯している国連PKOのMINURSOは、難民キャンプで活動しているNGOスタッフを集めて、MINURSO部隊は件の危険性を全く認知していない旨を伝えました。
また難民キャンプ行を計画していた人々では、2パーセントの人がキャンセルし、その他の人々は変更なしということで、チャーター機4便は予定通り運行だそうです。
実はこの日、勧告が発表される前にマドリッドでスペインとモロッコ両国の外相会談が行われており、スペイン国防相は「信頼できる外国諜報機関から得た情報」と語っていますが、情報がモロッコ側から渡されたものであることは誰にも察しがつきます。
一方、市民やNGOがスペインからチャーター便で難民キャンプへ向かうのは昨日今日に始まったことではなく、既に毎年恒例のイベントになっていることです。
それでは何故、今年この時期にモロッコがこのようなデマをスペイン側に流したのでしょうか。
モロッコの狙いはチャーター便ではなく、12月19日から3日間、解放区のチファーリーチーで行われるポリサリオ戦線の第十六回大会だと思われます。
ポリサリオ戦線大会は、1992年の停戦成立から10年後、2003年の第11回大会の開催地を難民キャンプから解放区のチーファーリーチーに移しました。
モロッコ側は「停戦協定に抵触する」として抗議しましたが、その後もポリサリオ戦線は第12回大会(2007年)と第13回大会(2011年)を解放区で開催。
第14回(2015年)もその予定でしたが、国連MINURSOが承諾しなかったため、難民キャンプで開催されました。
というのもこの年の三月、難民キャンプを訪問した潘基文事務総長が「占領」という言葉を発したために、これがモロッコ国王の逆鱗にふれて、占領地駐屯のMINURSO要員は強制退去に処されたのです。
モロッコと国連の交渉は難航し、12月になってもMINURSOは復帰できない状態でした。こんな背景があってモロッコは、ポリサリオ戦線大会の解放区開催のボイコットに成功したのです。
今年の第15回大会の開催地が発表されたのは、11月上旬でした。
モロッコ政府がMINURSOにかけたプレッシャーが徒労に終わったことは、国内メディアが騒いだことからも想像がつきます。
そこで今回のような「テロ警告」を発して、外国代表団の参加を邪魔しようとしたのです。
サハラーウィは当然、スペイン政府の体たらくに怒りを表明しています。
スペインのボレル外相は今春「スペインは西サハラの施政国ではない」と発言し、来年からはEUの外務・安全保障政策上級代表を務めることになっている人物です。
それにしても、解放区で開催されるポリサリオ戦線の大会が「停戦協定に抵触」と非難されるのであれば、占領地で日々行われている天然資源の奪取は、一体何と呼ばれるものでしょうか。
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注:スペイン各地にある西サハラ支援団体は毎夏、キャンプの子供たち(8~12歳)をホームステイさせて、彼らの栄養や健康管理の一役を担っています。
「平和な夏休み」というこのプロジェクトは1979年に開始され、人数が三千人以上に及んだ夏もありました。
受け入れ家族の多くは、毎年4月と12月の連休時に運行されるチャーター便で難民キャンプへ行き、受け入れた子供の家族を訪ねています。
こちらは今回の「テロ警告」後にキャンプ訪問したスペイン人親子が、Facebookにアップした写真です。
「今、テロリスト一団と一緒です!」とコメントしてます。