ラップ歌手の水死
6月28日、エル=アイウンの MINURSO本部に近いモスクの中庭に、サハラーウィ青年サイード・リーリの葬儀に参加しようと、二百人以上のサハラーウィ住民が集まりました。
しかしモロッコ当局が、MINURSO本部付近であることを理由にこれを解散させたため、遺族はやむをえず町の北方40キロ離れたところにあるモスクに移しました。集まった人々もこちらに移動し、治安部隊に囲まれて、祈祷が行われました。
埋葬された青年は、Flitox という名のラップ歌手です。
彼の唄うラップは、モロッコの占領を拒否し、解放を希求する歌詞であったことから、Flitoxは過去に逮捕や拷問に遭っていました。
6月23日夜、西サハラ南部の港町ダーフラから39人(サブサハラ出身者が9人、その他はモロッコと西サハラ出身者)の移民を載せた密航船が、カナリア諸島を目指して出発しました。
と間もなく、船は明らかに不調を来たし、船長は救命胴衣を着けて海に飛び込み、泳いで陸へ戻っていきました。
残された乗船者たちは暗闇の中でパニックに陥り、これが転覆につながりました。
泳いで陸にたどり着いた者たちは12人と推定され(注1)、溺死体となって揚がった者は約10人で、この中にFlitoxもいました。
これまでにも、占領下の西サハラで生きることに疲れ果て、密航仲介業者に高い金を払って船に乗りこみ、カナリア諸島に到着したサハラーウィは多数いました。(注2)
果たしてFlitoxもそんな青年たちと同じように、海を渡ろうと決心したのでしょうか。
親戚家族や友人仲間からは、それを非常に疑問視する声が出ています。
フランスで、政治亡命者として暮らしている Flitox の従兄ムハンマド・ラーイドさんによると、Flitox は将来を悲観視するどころか、カナダ給費留学が決定した矢先で、ヴィザが下りるのを待っていたそうです。
ラーイドさんは、かつてモロッコの国営放送に長い間務めたジャーナリストで、「私はモロッコ当局が使う手口の数々を熟知しているので、Flitoxが何らかの罠に嵌ったとしか思えません。彼には、命がけで密航船に乗り込む動機など、全くなかったのです。」と語っています。
Flitoxの母親は、「あの子は、船に乗る金など持っていませんでした。そんな大金が必要なら、家族に頼んだはずです。事件の後に、見知らぬモロッコ人男性が家にやってきて、<息子さんは溺死しました>と告げて去りました。まだ遺体も揚がってない時にです。」と述べました。
そして友人たちは「Flitoxは、ダーフラでビデオクリップを撮ると言って、携帯とカメラだけを手に出かけて行きました。持ち唄に、<奴らは僕らの海を呑み込んだ、僕らの魚を呑み込んだ、この僕らも呑み込むつもりだ>と資源の問題をテーマにした唄がありますから」と証言しています。
一方モロッコは、EUとの協力協定の下に、ヨーロッパを目指す移民たちを保護し帰還させるため、EUから多額の資金と物資を供与されて、今年から西サハラ海岸沿いに陸上、海上の厳重な警備隊を配置しています。
にもかかわらず、23日夜の船出は誰の目にも触れなかったのでしょうか。
Flitoxは、ブラジル人映画作家 Iara Lee が作ったドキュメンタリー 『Life is waiting 』に出演しています。
訃報を受けたLee さんは、次のように語りました。
「ひどい衝撃を受けました。今となってはFlitoxにインタヴューできたことが光栄に思えます。彼は、占領への抵抗の道具として、音楽を用いることに情熱を燃やしていた人でした。」
ソース: eldiario.es. / poemariosaharalibre / la vanguardia
注1:船上の模様は、生存者の一人が日刊紙 La Vanguardia に物語ったもの。
注2:ダーフラとカナリア諸島間の直線距離は450km。仲介業者に払う手数料は500ユーロ(約6万円)から3000ユーロまで様々。