故ハサン二世国王の国連演説の動画
こちらは、サハラーウィや海外の支援者仲間の間で拡散されたアーカイブ動画で、前モロッコ国王、ハサン二世が、1983年9月29日の国連総会で住民投票実施を約束した、貴重な演説です。(和訳はテキスト下部に)
当時、アフリカ統一機構OUA(現在のアフリカ連合)のプレッシャーの下に、モロッコは初めて民族自決権のための住民投票実施を受け入れました。
しかし、翌年サハラ・アラブ民主共和国がOUAに加盟すると、これを不満としてモロッコはOUAを脱会。
このため西サハラ問題はOUA内では解決不可能になり、国連へバトンタッチされる運びとなります。
なおこの演説の中でハサン二世は、国際司法裁判所が西サハラのモロッコ主権を認めたかのような口ぶりですが、裁判所の諮問見解はその逆で、「西サハラ氏族の中にはモロッコ・スルタンに忠誠を誓った氏族もあったが、西サハラに対する主権は存在しなかった」としています。
ハサン二世の最後のフレーズは、むしろ今ポリサリオ戦線のほうが、世界の国々に向かって発したいフレーズではないでしょうか。
<演説の和訳>
このドラマは、私どもを対峙させ、対決させ、また私どもの地域における社会経済的理念の実現を妨げております。
多くのアフリカの国々が、その是非はともかくも、西サハラには、絶対に民族自決権行使の住民投票を実施しなければならいと言われました。
モロッコはといいますと、自国の権利と、歴史、国際司法裁判所の見解に支えられ、この住民投票の承諾を可能な限り拒んでまいりました。
しかしながら、私どもが終わりの見えない対話、現在のみならず未来にも害を及ぼし、アフリカ統一機構の組織自体を脅かす対話に落ちこんでいることに気付きました。
そこで、これまでに対話を交わしてきた相手の方々、三つのタイプの方々に、適切な返答を差し上げようと決定するに至ったのです。
その三つのタイプとは、何も知らずにいる方々と、何も知ろうとはしない方々、そして未だに何も理解しようとしない方々でした。
そこでモロッコ国民とその国王は、両の手に勇気を握りしめて、既に事実の中に、砂の大地に、歴史の中に、法の中に立証されていることについて、それがどんなに悲痛であろうとも、さらなる立証を受け入れようと決意したのであります。
こうして私ども自ら、1982年にはナイロビに赴いて、二度に渡りサハラの住民投票の実施を公式に提案いたしました。
これは、アフリカの和解のためであり、知らずにいた方々に教え、知ろうとしない方々の目を覚まさせ、未だに理解しようとしない方々に多少なりとも分っていただくためであります。